しんざとけんしん『シュガーローフの戦い』 ©︎ しんざとけんしん/琉球新報社 「マンガと戦争展2」京都会場風景より 撮影:松見拓也 画像提供:京都国際マンガミュージアム
戦後80年の節目となる今年、京都国際マンガミュージアムで「戦争マンガ」を紹介する企画展「マンガと戦争展2」が開催中だ。会期は、7月12日~11月25日。2015年に開催された「マンガと戦争展」が国内外を巡回するなど非常に好評を博したが、本展はその“続編”であり“最新版”という位置付けだ。今回は、沖縄県那覇市の琉球新報ギャラリー(5月15日~6月10日)から京都へと巡回。現在、ウクライナやパレスチナで戦争が続き、世界各地で右傾化や排外主義が高まるなか、マンガを通して戦争を見る・知ることの可能性とはどのようなものだろうか。『12ヶ月で学ぶ現代アート入門』『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』の著者で、マンガ好きだという文化研究者・山本浩貴を聞き手に迎え、本展を企画した伊藤遊(京都精華大学国際マンガ研究センター研究員)にインタビューを行った。【Tokyo Art Beat】
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——最初に「マンガと戦争展2」(以下、「本展」)の企画意図を教えてください。様々な文化のうち、とくに「マンガ」に着目することで見えてくるものはなんでしょうか?
いまから10年前、戦後70年のタイミングで、京都国際マンガミュージアムとして何かできることはないかと考えました。そして企画されたのが、本展の前身となる2015年の「マンガと戦争展」でした。それより前の2000年代初頭、僕と本展の監修を務めている吉村和真さん(京都精華大学マンガ学部教授)は「はだしのゲン研究会」という研究会に参加していました。戦争に関わるマンガを研究するということは、僕と吉村さんにとって、そのときから持っていた持続的な関心でした。ですので、いつか戦争を主題とするマンガの展覧会やイベントを開催したいという気持ちは心にずっとありました。
僕自身の専門は民俗学、吉村さんは近代思想史の専門家なので、マンガを「テキスト」分析的な手法で研究するよりも、むしろ「コンテキスト(文脈)」からマンガを研究し、それによってマンガを通して社会を眺めるという姿勢が前提にありました。そうした姿勢の中で、戦後に作られた戦争マンガを取り上げることで、日本あるいは日本人と主に太平洋戦争のあいだの関係をめぐる戦後史がよりクリアに見えてくるのではないかと考えました。
個人的には、マンガは——良くも悪くも——「即応型」の表現メディアだと理解しています。ある一作が人気を獲得すると、すぐさま同じようなテーマの作品が増え、それらがワーッと集まってひとつのジャンルが形成されるところがあります。マンガは「商品」という側面が強いジャンルであることとも関連していると思うのですが。そうした特性が、ある意味では思想的なカッティングエッジ(最先端)になる可能性を秘めているのではないでしょうか。
たとえば、2020年代以降、マンガのジャンルとして、ジェンダーやフェミニズム、クィア理論の観点を持った作品が一気に増えました。(本展のテーマである)「戦争」との関りで言えば、小宮りさ麻吏奈『線場のひと』などが挙げられます。そうした傾向が出てきたのは、いわゆるマンガ業界の(ジェンダーやフェミニズムに対する)意識が例外的に高まったというより、ある種の社会的な空気が反映された結果ではないかと思います。そのような興味深い特性を備えたメディアがマンガであり、それゆえに美術館で展示されるアート作品とは少し異なる側面を持っています。その意味で、マンガを通して戦争を眺めることで、当時の社会における雰囲気が「即応的に」反映されたような、より生々しい表現、そしてより幅の広い表現が見られるのではないかと感じています。
——先ほどご説明いただいたように、本展は2015年に京都国際マンガミュージアムで開催された「マンガと戦争展」の続編という位置付けです。この展覧会はアメリカを含む複数の会場を巡回しました。それぞれの場所での違いも含め、この時の「マンガと戦争展」の反響を聞かせてください。また、「マンガと戦争展2」に継承されている部分、反対に前回とは変化している部分を教えていただけますか。
「マンガと戦争展」の巡回は、たいへんありがたいことに、昨年まで10年間にもわたって様々な会場を回りました。それに対する印象的な反応のひとつとしては、あくまで僕の印象ではありますがとくにアメリカでは、この展覧会で紹介されている作品の中に日本軍の加害を直接的に取り上げた作品が少ないのではないかという疑問がありました。日本国内でも「マンガと戦争展2」について、同じような声が挙がりました。そうしたことも戦争の物語を見るうえで、改めてひとつの重要な争点なのだと感じました。
たしかに日本のマンガにおいて、日本軍の植民地での加害自体を直接的に取り扱う作品の数は、相対的に見て圧倒的に少ないのは事実だと思います。ですが、それらの作品を詳細に見ていくと、当時の日本国内での加害と被害の多層性が丁寧に描かれていることがわかります。たとえば、『はだしのゲン』には朝鮮人の朴さんが登場し、国内の朝鮮人被爆者に課せられた二重・三重の苦難が描かれます。ですので、この作品はたんに原爆の悲劇を描いたマンガであるだけではなく、日本の加害性を明確に表現しているのです。そのような点も踏まえ、より広い視野から議論を行う必要があると思います。
「マンガと戦争展2」にあたって、この10年間にどのような新しいタイプの戦争マンガが登場してきたか、そうした動きを紹介するのは重要なミッションでした。そのミッションのなかで武田一義『ペリリュー 楽園のゲルニカ』のような作品が入ってきます。どういうことかと言いますと、数として多いわけではないのですけれども、これまであまりなかった占領期を舞台にしたマンガが増えたという印象があります。戦時中から1945年の敗戦に至る時期に焦点を当てるのではなく、戦争の終結以降も戦時的な状況が続いていくことを——意識的にか無意識的にかはわかりませんが——描く作品の出現こそ、僕はこの10年の戦争マンガにおけるひとつの傾向とみています。
本展で紹介できなかった作品で、現代に継続する「戦後」を描いたものとしては、小宮りさ麻吏奈『線上のひと』や八田羊『終戦後のスカーレット』などでしょうか。
そうした傾向は、最初にお話ししたような社会的なムードというか、「あの戦争って、本当に1945年に終わったのだろうか?」という意識——タレントのタモリさんが「新しい戦前が始まった」みたいな言い方をしていましたが——、そういったムードがじわじわとマンガに現れてきたのかなと考えました。そこにはやっぱり、10年前に比べて、いまのどこかきな臭い雰囲気、戦争が身近になりつつあることを多くの人が感じ取っているのではないのかなと思っています。「マンガと戦争展2」では、そうしたことを意識したラインナップを揃えています。
——「マンガと戦争展」、「マンガと戦争展2」では、一般的には共存することが難しいようなイデオロギーや考え方の異なるマンガが並列されていることが興味深いと思いました。この点について、お話しいただけますか。
2015年の「マンガと戦争展」では、小林よしのり『戦争論』を取り上げました。それに対する批判はかなりありました。そうした批判に応答して、様々に異なる角度から戦争について考えてもらうことが目的です、ということを丁寧に説明してきました。多くの人が、そうしたねらいを理解してくれたと感じています。
戦後、戦争マンガが作られていない時代はなくて、ものすごい数の戦争マンガが存在しています。しかし「戦争マンガってなんだと思いますか?」と尋ねると、たいていは『はだしのゲン』のような限られた作品が挙がってくる。「マンガと戦争展」のコンセプトを吉村さんと練っていたとき、もうひとりの監修者である評論家の呉智英さん——1970年代からマンガの評論を行ってきた方で、京都国際マンガミュージアムが開館した時の研究顧問のひとりでもありました——が、よくこんなことを言っていました。「マンガと『平和』展」ではなく、「マンガと『戦争』展」であることにこだわりたいと。
とりわけ1970年代以降に学校教育のなかで確立されていくような平和教育は、ある意味では「正解」を求めていき、それを子供たちに伝えてきました。そのため、「戦争についてどう思いますか?」と尋ねたら、みんな、ほとんど反射的に「正しい」答えを言う(ように訓練されている)。そう呉さんは言っていました。そうした平和教育は重要なものである部分は間違いなくありますが、いっぽうで戦争をめぐる議論の思考停止状態を招いている部分もあるのではないでしょうか。そうした思考状態こそ、ある意味、戦争を招いたいちばんの原因であったとも言えるわけです。ですので、イデオロギーによらず、さらに古今東西関係なく、多種多様な戦争マンガを紹介しようというのが本展の大前提です。
単純な善悪二元論に回収されないところにこそ、マンガというメディアの広がりと複雑さがあると考えています。「マンガと戦争展」「マンガと戦争展2」では、「これが正しい戦争マンガです」という提示はしないという前提で構成しました。むしろ平和教育では「悪書」として排除されかねないような作品もあえて見せることで、マンガ表現の可能性や多様性、あるいは危うさを提示することを意図しました。
——それぞれのテーマについて交差する2軸からなる4象限を用いたユニークなマンガの紹介の仕方は「マンガと戦争展」を踏襲しています。前回に続いて「新・沖縄」というテーマが設定されています。このテーマの意図を教えてください。また、今回の「マンガと戦争展2」では沖縄会場を巡回しています。京都会場と異なる部分はありますか。また、沖縄での反響はいかがでしたか?
「マンガと戦争展」では、主に戦中の沖縄における事象を扱う作品を紹介していました。それに対して、「マンガと戦争展2」では、現代沖縄の基地問題を取り上げている作品を意識的に紹介しています。
沖縄ではいまも戦争が続いている。そのなかで本展でも引き続き沖縄をフィーチャーすべきだろうという話になっていました。それとは別に僕と吉村さんは、全国の自治体や関係者に、現地にマンガ原画のアーカイヴ体制が整備できないか相談して回るというプロジェクトに関わっていました。
その過程で沖縄に行ったとき、今回取り上げた新里堅進(しんざと・けんしん、1946〜)さんとお会いしました。新里さんは沖縄では非常に知名度が高く、地元紙などを通して親しまれているマンガ家です。新里さんが原画の扱いをどうしたらいいか困っているという話をお聞きしたことから、新里さんの原画をアーカイヴするという事業を進めていました。そうした事業が先行する中、「マンガと戦争展2」の企画が立ち上がり、必然的に2つのプロジェクトが結びついていくことになります。新里さんの最新作を出版していた沖縄の二大ローカル新聞のひとつである琉球新報社さんが那覇の本社ビルの中にギャラリーを持っていたので、じゃあ京都での展示の前に、そこでやりましょう、という経緯で沖縄展の開催が決まりました。
沖縄のことをテーマにしたマンガの展示を沖縄で開催するにあたり、かなり緊張したというのはありました。ですが、新里さんの知名度や人気もあり、展示はおおむね好意的に受け入れられたという印象です。本展にあたり、僕としては、新里さんをまだ相対的に認知度の低い京都という場所で展示することにやりがいを感じています。
⋱単行本8/5発売⋰
— トーチweb (@_to_ti) July 28, 2025
戦後80年特別企画『ソウル・サーチン』第7回更新
■漫画
新里堅進『死散』(『水筒』より)https://t.co/mddMXtGJba
■編者による解題(後編)https://t.co/v9ecm6CQxk
「沖縄で、沖縄を描く」ことに人生を捧げてきた漫画家・新里堅進。その鬼気迫る作品群と半後ろ pic.twitter.com/zUdos76LDX
——(どのテーマも興味深いですが)「『外国』の戦争」というテーマは非常に興味深いと思いました。ウクライナ、パレスチナ、アウシュビッツというチョイスは、明確に現在の世界情勢との接続を意図しています。このテーマを設定するにあたり、どのようなことを考えましたか。
アート・スピーゲルマン『マウス アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』やジョー・サッコ『パレスチナ』のような、日本と違う場所と時代、パレスチナ、ウクライナの話など、当時といまのウクライナやパレスチナの状況と結びつけて考えられるような作品を前面に紹介しています。
いまの状況を考えたとき、やはりウクライナやパレスチナの問題は取り上げるべきだろうと吉村さんとも話し合って決めました。その後、どの作品を紹介すべきかについて検討を始めました。サッコ『パレスチナ』はマンガ史のなかでも非常に重要な作品だと思いますが、日本ではあまり知られていない印象です。それなら紹介する価値があると考えました。
ウクライナに関しては、日本でもいくつか関連するマンガが出版されているのですが、最終的に選んだのは、Akari Sayakaさんという、日本のマンガ・アニメファンのウクライナの少女が現地から発信していた4コママンガです。X(旧Twitter)に投稿されていたもので、20本ほどが電子書籍として翻訳されてブックライブで販売されています。非常に限られた流通しかしていませんが、現地の視点から描かれた作品を取り上げることにこそ意義があると感じました。
——本展で紹介できなかったマンガ、あるいは最近のマンガのなかで、「マンガと戦争」というテーマに照らして推薦したいものがあれば教えてください。
展示の構成上、「4象限」のマトリックスで紹介するという縛りがありました。ですので、3つの象限に対応する作品は見つかるけど、最後の1ピースが見つからないために展示に組み込めないテーマがいくつかありました。そのひとつが、「日本人/外国人」という切り口で、戦時中の日本における外国人や捕虜に関する作品を紹介するものでした。
そのひとつが、ペッペ『ENDO』という作品です。ペッペさんはイタリア人作家です。この作品は第二次世界大戦中の名古屋にあったイタリア人捕虜収容所を舞台にしています。このような場所が名古屋にあったこと自体、私も知りませんでした。先述した『はだしのゲン』に登場する朝鮮人の朴さんのように、国内の多層的なレイヤーの存在を示す作品です。この作品をきっかけに、ほかにも同様のテーマを探し始めました。
たとえば、100年前にサンフランシスコに留学した画学生ヘンリー・キヤマ(木山義喬)のエッセイマンガ。彼は鳥取県の米子出身で、1920年代にアメリカへ渡り、30年代に帰国しましたが、国際情勢が変わったことで再び渡米することがかないませんでした。この作品には、当時のアメリカ社会における日本人の体験が描かれています。また、望月三起也『最前線』には、日系二世のアメリカ人兵士が登場します。彼らがナチスなどの敵国と戦う姿を描いたこの作品も、戦時中にアメリカにいた日本人の葛藤を描いていて興味深いです。さらに、台湾で制作された邱若竜『霧社事件 台湾先住民(タイヤル族)、日本軍への魂の闘い』は日本語でも翻訳出版されています。これは戦時中、日本軍に反旗を翻した台湾先住民による霧社事件(1930)を描いていて、この事件は『セデック・バレ』という映画でも取り上げられました。
——そうした視点は、これまであまり紹介されてこなかったものですね。
その通りです。だからこそ「戦争マンガ」と一括りにせず、様々な立場にいた「日本人」や「外国人」を描いたマンガをもっと多面的に紹介したいと考えています。今回の展示では、4象限の形で紹介した40タイトルのマンガ本に加え、別途200タイトル以上の戦争マンガを集めた特集棚を用意しました。僕としては、これら多種多様なマンガを手に取ってもらい、鑑賞者が「自分だったらこんな4象限を作ってみたい」と考えるようなワークショップ的な展開につながっていけばいいなと思っています。
——本展がマンガというメディアの広がりや多様性を体感できる展覧会であることがよくわかりました。ぜひ多くの人に見ていただきたいです。本日はありがとうございました。
*特集「戦後80年」のほかの記事はこちら(随時更新)
関連イベント
トークイベント「マンガ家・新里堅進を知っているか」
本展で原画作品も出展いただいている沖縄県在住のマンガ家・新里堅進さんをお招きし、作品に込めた思いなどについてお話を伺います。
日時:2025年10月18日(土)14:00~16:00
会場:京都国際マンガミュージアム 1階 多目的映像ホール
料金:無料 ※ミュージアムへの入館料は別途必要です
出演:新里堅進(マンガ家)、吉村和真(京都精華大学マンガ学部教授/司会)
定員:200名
参加方法:事前申込制、先着順
申込、詳細:公式サイト
山本浩貴
山本浩貴