左から、《モデナ、1979》 〈想像の地理学〉より(1979)、《サッスォーロ、1975》 〈F11、1/125、自然光〉より(1975)
東京都写真美術館では、写真家ルイジ・ギッリ(1943〜1992)の個展「総合開館30周年記念 ルイジ・ギッリ 終わらない風景」を9月28日まで開催している。初期から晩年までの作品を通して、多様な視覚的断片によって構成されたギッリの風景に対する思索と表現を紹介する本展。アジア初の美術館個展となる展覧会を、写真史家・写真評論家の打林俊がレビュー。【Tokyo Art Beat】
*本展レポート
イタリア北部の街、モデナ。この街の名前を聞いたことがある人は、まず何を思い浮かべるだろう? 車好きならばこの街で生産される世界屈指のスポーツカーであるフェラーリ、あるいは食通ならばバルサミコ酢やワインだろうか。写真家のルイジ・ギッリもまた、モデナ近郊で生まれ、この地で特異な写真表現を探求した。
ギッリは49歳で早逝しており、写真家人生も20年足らずとそう長いとはいえない。それにもかかわらず、彼の静謐な作風は生前から世界中の人々を魅了してきた。日本でも、彼の講義録をまとめた『写真講義』の翻訳がみすず書房から出版されていたり、近年ではタカ・イシイギャラリーで展覧会が開かれたりと、それなりの紹介はされている。2019年にはパリの写真・映像を専門とする美術館ジュ・ド・ポームで大回顧展が開催された。わたしは色々と手を尽くしたがこの展覧会に赴くことは叶わず、だいぶ後悔したものである。その後悔というのは、すなわち「日本ではギッリの回顧展など開かれる機会はそう簡単に訪れないだろう」という憶測から来るものでもあった。
以来6年。あらかじめ端的な結論を言ってしまえば、東京都写真美術館の開館30周年記念というにふさわしい展覧会だったといえる。
ルイジ・ギッリはもともと測量士で、1960年代末から写真を撮り始める。本展の見どころはいくつもあるが、とくにここで注目したいのは、ギッリが一貫して写真というメディアの平面性に着目していたことである。たとえば、それは前景と遠景の関係や、ガラスや鏡を通して映った光景が、写真の中ではひとつの平面になって還元される画づくりに現れている。
ギッリはのちに、その作風を形而上写真などと評されるようになっていく。この「形而上」という言葉は哲学的概念とも深く関連してくるが、ここではもう少し単純化して、同じくイタリア出身の画家で、20世紀初頭にみずから形而上絵画とも称した作風を展開したジョルジョ・デ・キリコの作品と照らし合わせて考えてみることにしよう。キリコの形而上絵画には独特の静謐さと不安感があり、その要素としては画面内での遠近法のずれ、人物がほとんど描かれないか小さく描かれる、彫刻やマネキンのようなモチーフが登場する、などがある。こうした要素が、ギッリの写真にも初期から少なからず共有されていたのは驚きと言っていいだろう。それはとくに、70年代初頭から半ばにかけて制作された彼の代表的シリーズのひとつである〈コダクローム〉において、前景のポスターや看板と、遠景の風景との関係に強く現れてくる。
思えば、ポスターや写真のような複製イメージを1枚の写真に写し込むことで「写真家がいた空間」と「掲示物の写真内の空間」を連続した時空として圧縮しようという試みは、日本では森山大道が1969年に『アサヒカメラ』に連載した〈アクシデント〉のような作品の考え方とも共通している。たとえば、森山は警視庁の交通安全ポスターの事故現場の写真を撮影することで、ポスターに反射する光とポスター内の空間とに連続性を与えようと試みている。他方のギッリは遠景に山岳風景が広がる景色の前景に巨大な滝の写真を用いたスプライトの広告が大きく展開される光景を撮っている。両者の作風は大きく異なるが、写真が時間、空間を圧縮してしまうメディアと考えていたという点では、その同時代性は注目に値するだろう。
あとで詳しく見るように、ギッリはイメージとテキスト(それはタイトルであり写真の中の文字でもある)の最小限の関係が媒介して喚起する想像力にも思考をめぐらせていたと思われる。こうしたギッリの形而上学的試みは、本展には出品されていなかったものの、1973年に制作した〈地図(Atlante)〉のシリーズ(ギッリの没後、1999年にChartaから写真集として出版)でもっともラディカルに実践されている。ここでは、地図の一部が複写のようなかたちで撮影されることで地名や記号が本来の用途や文脈から切り離されている。ギッリはそうすることで情報やコンテクストも平板化しようと試みていたのだ。
展覧会のふたつめのパート「オブジェクトとイメージ2:イメージと記憶の交差」では、ギッリのそうした平面化の試みが一歩進んで、1枚の写真の中に折り重なる複数のイメージが鑑賞者の記憶や想像の中で重層的に拡張される試みが提示される。たとえば、2枚の絵画を写した《モデナ、1975》の、額で隔てられた2枚の風景画を部分的に写すことによって生み出される遠近法のズレは、やはりキリコの絵画を彷彿とさせるものがある。
さらにここで注目したいのは、《モデナ、1978》と題された〈静物〉シリーズからの1枚である。おそらくは額の割れたガラス越しに撮られたと思われる写真に写る絵画は、フランスの画家カミーユ・コローの《モルトフォンテーヌの思い出》である。ガラスには青空が投影され、割れたガラスといういささかセンチメンタルなモチーフが鑑賞者の想像力を掻き立てる。ギッリはタイトルには大雑把な撮影地と撮影年しか与えていないが、そこにはコロー作品のタイトルに現れる「思い出」と、撮影者の記憶や1978年にモデナにいたという過去完了的事実、そしてそれを見た者に喚起するノスタルジーとが、重層的に折り重なっている。言いかえれば、ここでは遠近法的な意味での前景/遠景にとどまらず、写真というメディアにつねにつきまとうノスタルジー、記憶、実在感(それはロラン・バルトが『明るい部屋』で「かつてそこにあった」という言葉で言い表してみせた写真のノエマそのもの)さえもが1枚の写真に閉じ込めたられたと言っていいだろう。
ちなみに、こうした試みは同時期のシリーズ〈F11、1/125、自然光〉などにも共通して見られるが、初期においてギッリが現実と複製の往還について様々な思考/試行をめぐらせながらも、イラリア・カンピオーリがカタログに寄せた文章のことばを借りるならば、「写真イメージの曖昧さ、現実とその表象の差異」に深い興味を寄せていったことがわかる。
こうした現実と複製、在/不在といった写真というメディアの本質を探るギッリの一貫した姿勢は、晩年の〈アルド・ロッシのアトリエ〉や、ギッリのもうひとつの代表作〈ジョルジョ・モランディのアトリエ〉につながっていくこととなる。
同時期に取り組んでいたこれらふたつのシリーズを比較すると、〈アルド・ロッシのアトリエ〉では空間的な奥行きや遠近法を意識した画面構成が目立ち、他方の〈ジョルジョ・モランディのアトリエ〉では、モランディの絵画にたびたび登場する陶器やブリキのオブジェを用いて、彼の絵画を再解釈したような平面的構図が多用されている。ここからは、建築家ロッシと画家モランディという、画面の中には不在のそれぞれの人物像に応じて、自由に作画意識を使い分ける試みがなされていることが見て取れる。
果たして、1992年にギッリは不意に帰らぬ人となるが、彼がその後も写真家であり続けたならば、どのような方向へと向かったのだろうか。最近、ギッリのアーカイヴの中から、59枚の教育用のスライドが発見されたという。その中には、古典絵画や、写真史の初期の作例の複製が多く含まれていたそうだ。少し他愛のない想像をめぐらせてみるならば、ギッリもまた、キリコのように古典に回帰したのだろうか。あるいは、美術史家のアビ・ヴァールブルクの晩年の研究「ムネモシュネ・アトラス」のように、イメージの歴史を貫くモチーフを探求するような壮大な思索の航海に出たのだろうか──? ギッリの仕事の全貌を知ってもなお、そのような深い余韻を残す展覧会であった。
打林俊
打林俊