フィンセント・ファン・ゴッホ 画家としての自画像 1887年12月-1888年2月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」が、7月5日に大阪市立美術館で開幕した。会期は8月31日まで。
世界中でいまもなお愛されている画家、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)。日本では、「大ゴッホ展」やポーラ美術館で開催中の「ゴッホ・インパクト―生成する情熱」など、2025年から27年にかけてゴッホをテーマにした大規模展が相次いで企画されており、今年は「ゴッホ・イヤー」とも呼ばれている。
わずか37年という短い生涯を送ったゴッホだが、その作品は今日までどのように受け継がれてきたのか。本展は、ファン・ゴッホ家が受け継いできたファミリー・コレクションをテーマに据え、30点超のゴッホ作品とともに、作家の死後、どのように作品が守られ、現在のように広く公開されるに至ったのかをひもといていく。
ファン・ゴッホ家のコレクションに焦点を当てた展覧会としては日本で初めて。展覧会は、東京都美術館(9月12日~12月21日)、愛知県美術館(2026年1月3日~3月23日)にも巡回予定。
7月4日に行われた内覧会・記者発表会には、大阪市立美術館長の内藤栄、同館主任学芸員の弓野隆之、ゴッホの弟・テオのひ孫でフィンセント・ファン・ゴッホ財団代表のウィレム・ファン・ゴッホ、ファン・ゴッホ美術館 副館長のロブ・グルートが登壇。また、展覧会サポーターで本展の音声ガイドナビゲーターを務める松下洸平も登場した。
フィンセント・ファン・ゴッホの弟テオドルス・ファン・ゴッホ(通称テオ)は、精神的・経済的に兄を支援し、作品を管理したが、フィセントの死から半年後に死去。内藤は「今回の展覧会は、(フィンセントとテオの)ふたりの話ではなく、ふたりの後に続く人たちの話なんです」と強調する。
テオの死後、テオの妻ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル(通称ヨー)は夫のもとにあったフィンセントの作品や手紙を引き受け、展覧会の開催や作品の販売、書簡集の出版などを通じて、フィンセントの名声を確立していった。さらにふたりの息子であるフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホは財団を立ち上げ、ファン・ゴッホ美術館を設立。「ヨーやフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホがいなかったら、我々はゴッホのことをここまで知ることができなかったかもしれない。本展では、ゴッホがどのように世界的な画家になったのかを辿っていく」と内藤。
またフィンセント・ファン・ゴッホ財団代表のウィレム・ファン・ゴッホは、「フィンセント・ファン・ゴッホは、オランダと日本の強い絆の象徴です。革新的な芸術家としてのファン・ゴッホの成長に日本に芸術が強い影響を与えたからです。フィンセントは日本を訪れることは叶わなかったが、夢のなかではこの美しい国、文化、芸術と深く関わってきた。そしてこのつながりのおかげで私たちは今日こうして出会い、この展覧会を楽しむことができるのです」と日本とのつながりをアピールした。
展覧会は5章立てで、2会場にわたって展開されている。
フィンセントの画業を支え、死後に相続したコレクションを大切に保管した弟テオ、テオの死後に膨大なコレクションを管理し、義兄の作品を世に出すことに人生を捧げたテオの妻ヨー、そして、コレクションの散逸を防ぎ、新たな作品を加えることの重要性から1960年にフィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立し、1973年の国立フィンセント・ファン・ゴッホ美術館(現在のファン・ゴッホ美術館)の開館に奔走したテオとヨーの息子フィンセント・ウィレム。まず第1章では、フィンセントの作品を世界へ広めることに貢献した3人の家族について、映像などで紹介する。
第2章では、ファン・ゴッホ兄弟が収集したコレクションが並ぶ。
ともに10代の頃から画廊で働いていたフィンセントとテオは、早くから美術品を収集しており、とくに版画のコレクションに力を入れた。パリでは、エドゥアール・マネやアルマン・ギヨマンといった同時代の作家の作品を入手したほか、フィンセントはポール・ゴーガンやエミール・ベルナールなどの画家たちと交流し、自身の作品と交換するかたちで彼らの作品を手に入れた。
冒頭に展示されているフィンセントの肖像画は、彼と親しい友人だったジョン・ピーター・ラッセルによるもの。本人の自画像よりも似ているというこの作品をフィンセントは気に入り、南仏に移る際も大切に扱うようテオに頼んだという。
この章では、フィンセントが影響を受けたイギリスの新聞の挿絵版画、さらにはその画風の確立に大きな役割を果たした浮世絵なども展示。多様な作品を通して、フィンセントとテオの関心と、ふたりが生きた時代が浮かび上がる。
フィンセントが画家を志したのは27歳のこと。37歳で亡くなるまでわずか10年の画業で、数多くの作品を残した。続く第3章では世界最大のゴッホ・コレクションを誇るファン・ゴッホ美術館から、フィンセントの素描や絵画を彼が過ごした時代と場所ごとに紹介する。
まずはオランダ。ハーグで素描の技術を磨いたフィンセントは、その後ニューネンの農村で油彩画の修行を重ねる。ジャン=フランソワ・ミレーなどに影響を受け、この時期はおもに農民や鉱夫などを題材として描いた。ここでは暗い画面の作品が並び、漁師や農民の顔を描いた肖像画が存在感を放っている。こうした労働者階級の人々の「顔」を描くにあたっては、先に見た、フィンセントが愛好したイギリスの挿絵新聞『グラフィック』紙の版画連載「民衆の顔」にも影響を受けていたという。わらぶき屋根の小屋を描いた、ニューネン時代の最重要作のひとつともいわれる《小屋》も展示されている。
続いて第2会場へ。1886年にパリへ移ったフィンセントは、印象派など新しい前衛画家たちの表現と出会い、筆使いや色彩への探究を深める。作品の色調を明るくするため、花の静物画にも取り組んだ。
《画家としての自画像》(1887〜88)もこの時期の作品だ。色彩を巧みに扱い、自由な筆使いで描かれ、オランダからパリへ移ったフィンセントの作風の変化がよく表れている。
この作品には興味深い逸話がある。テオの妻ヨーが初めてフィンセントに会った際、病気と聞いて想像していた姿とは違って健康的でたくましく毅然とした様子に驚いたそう。すべての自画像のなかで本作の姿がそのときの印象によく似ていると回想している。しかし当のフィンセントは、「生気がなくこわばっていて、赤ヒゲが伸びたまま物悲しい」「こうした人物像は写真とは違うものではないか」と、自画像の自身を死神になぞらえ、自分とは似ていないと感じていたという。描いた本人と他者とでまったく異なる解釈をしているのが面白い。会場で実際の作品を見て、どう感じるか確かめてほしい。
南仏のアルルに移ってからは、明るい光と自然溢れる地で色彩表現をさらに追求していく。ゴーガンとの共同生活や有名な耳を切る事件が起きたのもこの地だ。浮世絵からの影響を感じさせる風景画や、《種まく人》(1888)など、自身の画風を確立していく時期の作品が紹介されている。ミレーの代表作と同じモチーフに挑んだ《種まく人》では、落ち着いた色調で夕暮れの田園風景が表され、独自の大胆な筆使いで描かれた太陽が目を引く。
その後、サン=レミ=ド=プロヴァンスの療養院で1年を過ごしたフィンセント。この地では治療のかたわら、オリーブ園など療養院から見える風景を描いた。さらにオーヴェール=シュル=オワーズに移り住むと新しい表現の可能性を試み、多くの作品を残すが、3ヶ月を過ごした後に命を絶った。
第4章は、テオの死後、フィンセントの膨大な作品を受け継いで管理し、作品の売却や展覧会への貸し出しなど、フィンセントの評価の確立に力を注いだヨーの活動にフォーカス。
ヨーはもともと美術分野に関する専門知識があったわけではないが、次第に近代美術や美術取引の仕組みについての深い洞察を身につけていく。彼女は自身と息子の生活のためだけでなく、ゴッホの評価を高めるべく戦略的に作品の売却を行なった。
そんなヨーの尽力が垣間見える資料として、本展では、テオとヨーがパリで暮らしていた頃につけ始めた会計簿を展示。もともとは家計簿として家庭の財政状況が記されていたが、ヨーが作品の売却を始めたことで、どの作品がいつ頃売却されたのかの生々しい記録ともなった。
また、家族のコレクションがどのように扱われたのかを示す貴重な資料とともに、実際にヨーが売った作品も展示されている。
そして最後の章では、フィンセント・ファン・ゴッホ財団とファン・ゴッホ美術館の設立に取り組んだテオとヨーの息子、フィンセント・ウィレムの功績と、財団および美術館のコレクションを紹介。現在までつづく「家族の遺産」をたどる終章だ。ファン・ゴッホ美術館の充実したナビ派のコレクションの作品をはじめ、ゴッホから影響を受けた芸術家としてモーリス・ド・ヴラマンクの作品なども並ぶ。
また日本初公開となる貴重なゴッホの手紙4通も展示。いずれもゴッホがブリュッセルで出会った先輩画家アントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙で、文章にスケッチが添えられている。手紙の一部は日本語訳も掲示されており、私的な文章からそれが綴られたときのゴッホの心情がリアリティをもって伝わってくる。
最後に登場するのが、幅14m超のスクリーンに、《花咲くアーモンドの枝》(1890)、《カラスの飛ぶ麦畑》(1890)などのファン·ゴッホ美術館の代表作を高精細画像で投影するイマーシブコーナー。飛び立つカラスや揺れる花びらなどモチーフが動き出し、その作品世界を体感できる。また、《ひまわり》(SOMPO美術館蔵)の高精細3DCG映像では、画面に乗せられた絵具の厚みなどが肉眼では迫りきれない角度で見ることができる。
いまや世界の美術館で目にする機会のあるゴッホの作品。しかし、その評価の確立には、画家の死後に作品を守り、広めようと尽力した家族の存在があった。本展は、激動の人生を歩み、「孤高の画家」としても知られるゴッホを、そうした背景とともに見つめ直す貴重な機会となる。
*本展の展覧会グッズもチェック。