公開日:2025年8月21日

super-KIKIが見た「衣服が語る戦争」展(文化学園服飾博物館)──“着ること”と身体、社会をめぐる政治的な問い【戦後80年特集】

戦争が衣服や人々の生活に及ぼした影響を考察する展覧会「戦後80年企画 衣服が語る戦争」が9月20日まで開催中。“政治的衣服”を制作するアーティストのsuper-KIKIに、展覧会を起点に話を聞いた(撮影:沼田学 [*を除く])

super-KIKI

戦後80年の企画展として、東京・新宿の文化学園服飾博物館「戦後80年企画 衣服が語る戦争」が開催されている。会期は9月20日まで。

本展では、戦意高揚のムードのなかで作られた着物や、物資不足の時代に生まれたもんぺ、国民服、同時期の欧米のドレスやファッション誌などを通して、戦時下における衣服の変遷が紹介されている。それらを手がかりに、当時の人々の生活や価値観、社会の変化が浮かび上がってくる。また、本格的に洋服の時代が到来した戦後の衣生活や、平和への願いが込められた衣服にも光を当てている。

今回は、アーティストのsuper-KIKIにこの展覧会を訪れてもらい、展示を見て感じたことを出発点に話をうかがった。政治的なメッセージをプリントした衣服の制作や、プラカードを作るワークショップなどを通じて、社会への疑問や抵抗を表現してきたsuper-KIKIにとって、デザインとしての「かっこよさ」はどんな危うさをはらんでいるのか、ファッションでメッセージを発信するとき、何を問い続けるべきなのか。展覧会を起点に、表現と社会、そして「着ること」の関係を考える。

「戦争」がトレンドを作る。デザインとしての「かっこよさ」に潜む危うさ

──展覧会をひと通りご覧になってみて、いかがでしたか?

当時の衣服がこれだけ残されて、間近で見られること自体すごいと思いました。現代の自分がファッションとして表現しているものや生活で使っているものが、そのときの社会や時代背景でまったく意味合いが違うというのはやっぱりすごく興味深いですね。私はファッションを自分のジェンダーやアイデンティティと紐づくものとしてとらえることが多いですし、政治的なメッセージを身につけて発信するなど、アクティヴィズムのツールとして使うこともありますが、いまの自分と比べて、当時の人々がどのように「服を着る」ということをしていたのかを知ることができたのがとても面白かったです。

──第1章「戦争の熱気が生む流行」では、軍艦や飛行機、戦争の様子を図案化した「戦争柄」の着物や、軍服からインスピレーションを受けた服などが展示されていました。デザインとしての「かっこよさ」があるいっぽうで、その背景には日常に溶け込んだ戦意高揚のムードもある。そうした二面性についてはどう感じましたか?

いまの社会で直接的に政治的なメッセージを伝えるのはなかなか困難だったりもするので、私も「かっこよさ」やデザインの力を使って伝えるということが必要だと思ってやっているんです。でもやはり戦争柄が民衆のあいだで流行したという歴史もそうですし、ナチスドイツの表現物や制服などもいま見てもかっこよさを感じてしまう部分はあって、その点にはずっと危うさを感じてきました。私も自分の表現方法としてファッションを使っていますが、これが一転してプロパガンダに利用される可能性も考えなくてはいけないと思っています。

軍モノの古着が高値で取引されたり、ミリタリー関連のファッションがかっこいいという価値観はいまでも根強いですが、それをかっこいいとする価値観もどう受け止めたらいいんだろうと考えちゃいますよね。やはり「かっこいい」とか「美しい」という価値観ってつねに社会と鏡合わせになっているというか。それが何から影響されて紐づいたものなのか、疑ってかかることをし続けるというのが大事なのかもしれません。

「戦争柄」の着物 日本 昭和15年(*)

同時に、アートやファッションなど自分たちが大事にしている文化が体制側に奪われないように、表現に妥協しないということも重要だとあらためて感じました。私は、変化する可能性があるという前提は持ちつつも、思想はつねに持っていたいと思っています。自分がどういう世界を希望するのか、そのためにどういった行動をとるべきなのかという思想です。表現者として表現を突き詰めていくことに喜びを感じるのはすごく尊いと思う反面、それだけだと国家が危うい道へ行き始めたときに加担してしまう可能性もありますよね。日本では「アートに政治を持ち込むな」「音楽に政治を持ち込むな」といったことも言われていますが、私はそこに思想があるかどうかは表現者としてやっぱり大事だと思っています。

──展示では、戦争がトレンドを作っていった時代の空気が伝わってきました。戦争のムードが服やメディアを通じて広がっていく様が表れていましたね。

そうですね。いまと違って情報のアクセス先も限られていたと思いますし、展示されていた雑誌のようにメディアに戦争賛美のムードが載っていたりすると、そういうものに触発されてしまう。もし当時の社会に自分がいて、その雰囲気に飲まれなかったかというと自信がないです。戦争って国同士が勝手に始めて進めていくものというイメージがありますが、当時の背景を知ると、民衆が作るムードや言説がそれを後押ししていたことがわかります。

簡単にこの時代の人たちとは比べられないですが、そういうムーブメントが出てきたときに、「なんかおかしいぞ」って気づくことができるのは、こういった歴史的な資料が残っているからですよね。だから歴史を知って、自分がいま生きている社会にアンテナを立たせておいて、違和感を感じたときに早めにブレーキをかけたり、それに抵抗する新しい表現を生み出したりしていくことは不可欠だなと展示を見てあらためて思いました。

第1章「戦争の熱気が生む流行」展示風景(*)

Tシャツに描かれた「平和」のメッセージはいま、どう響くか

──とくに印象に残った展示物はありますか?

やはり戦争柄はすごくインパクトがありました。それから、被服協會の活動も印象に残りました。

──被服協會は、国防のための被服資源の研究や民間への教育を目的に、陸軍の外郭団体として昭和4年に設立された機関です。その活動に焦点を当てた第2章では、被服協會が東アジアの国々で収集した民族衣装や、それらを紹介する機関誌『被服』などが展示されていましたが、展覧会の後半では戦後にその民族衣装が世界平和の象徴として公開されていた様子も紹介されていました。

民族衣装の収集は、研究対象として現地の生活を知るためだったり、純粋に服に興味があったり、個人としてはいろんな気持ちで動いていた人がいたのだろうとは思いますが、やはり日本が占領しようとしていた地域、占領した地域の衣服が集まっていたのは植民地支配の一環であって、どういった方法で収集が行われていたのか、それは略奪にあたる行為とは違うのだろうか……?と考えてしまいました。それが戦後に「こういった民族の人々がいますよ」と平和のメッセージに使われていたことも、すごく複雑だし、グロテスクにも感じました。こういった日本の侵略の歴史が詳細に語られなかったり「自虐史」と呼ばれるのを耳にすると、また同じ過ちを繰り返してしまう可能性を考えざるを得ないし、歴史や背景を知らないことからくる人種差別も無くなっていかないのではと考えてしまいます。

被服協會が収集した民族衣装(*)
被服協會の機関誌『被服』 文化学園大学図書館蔵(*)

また展示全体の流れとして、戦争が激化していくなかで、あからさまに服が地味になっていって、ファッションが戦争に勝つため、戦争を生き抜くための機能性に置き換わっていく様が露骨に見てとれましたよね。あっという間にそういうふうに転がっていくという危うさは、全然想像がついてしまう。いまの空気感とも簡単に接続するものだとは思うので、やはりまったく過去のものとは思えないという感じがします。

第3章「戦争に翻弄される人々の衣生活」より、戦時中の衣服(*)

──第5章「平和を願って」では、「PEACE」など平和を願うメッセージやグラフィックが書かれたTシャツが展示されているコーナーがありました。KIKIさんが制作されている洋服とは、メッセージの具体性も着る側の意識も異なるもののようにも感じますが、どうご覧になりましたか?

すごく面白いですし、もちろん表現している人たちのそれぞれの複雑な思いもあるとは思います。ただ、平和の象徴として鳩のイメージがいくつも見られましたが、いまの社会だとそれを見ても平和が維持されるイメージをしにくい。どこか「平和」というものが形骸化しているということなのかなと思いながら見ていました。ある意味、その変わらなさや、表現者の怠慢みたいなものを感じてしまうものではあるんですよね。ユニクロなどの大企業のブランドのデザインだとなおさら。

もちろん、いままで大変な苦労をして平和を訴えて培ってきた人たちの思いやイメージを受け継いでいきたいですし、そういったモチーフが必要なときもあると思うのですが、それをいまの人たちにどのように伝えられるのかを表現者が考え続けて更新していかないと。

それに、そこに描くのは「PEACE」という文言でいいのか。いまも世界中で紛争が続き、パレスチナでも虐殺が起きていて、植民地支配も終わっていない。日本でも差別の流れが加速し続けている。SNSを見ていても戦後の平和教育で培われてきたものが薄れているのはすごく感じます。なぜ平和が大事なのか、平和に行き着くプロセスはどう作るのか、我々は本当に平和なのか、といったことを伝えないことには、Tシャツに「PEACE」と書かれていてもそれを持つ意味ってなんなんだろうと考えてしまいます。「平和」というものが本当に実装されることを願望として持つと同時に、それを表現する方法についてはもっと考えなくてはいけないんだろうなということは、最近すごく感じています。

クィアフェミニズムの思想を取り入れた“政治的衣服”を作る理由

──super-KIKIさんご自身は、なぜ社会への抵抗や表現の手段としてファッションを選ばれたのでしょうか。

「人に渡せるもの」であり、着た人がそれぞれ発信者になれるというということがいちばん大きいです。アートの大きな役割として、多くの人を巻き込んで作り上げるということがあると思いますが、その後押しをしてくれるものとしてファッションという媒体を使っています。

私はもともとファッションを専門的に勉強したことはなく、ポップアートを学んでいました。卒業後、東日本大震災と原発事故をきっかけにこの国の政治っておかしいんじゃないかと思い始めて、市民の勉強会や脱原発の運動に参加するようになったんです。そのときにデモで直接政治的なメッセージを叫ぶことに感動しつつも、周りの人を誘いにくかったり過激に見られるたりすることもあって、輪の外に政治的な問題を伝える手法について考え続けた結果、生まれたもののひとつが、メッセージTシャツや古着のリメイクにグラフィックをプリントした服でした。身につけているものだと生活に溶け込むし、服をきっかけに「それなんて書いてあるの?」っていうコミュニケーションが生まれたりしますよね。そのための道具として作っている部分が大きいです。

もうひとつは私自身のアイデンティティと関係しています。私はいまジェンダークィアを自認しているのですが、私が思春期の頃は「ノンバイナリー」や「ジェンダークィア」など、私の感覚を表現する言葉が見つからなくて、自分が何を着たらいちばん心地良いかを模索していた時期がありました。地味な服や、制服のようにみんなが着る同じ服だと、もともと生まれ持ったパーツにどうしても目がいってしまうのが嫌だったんです。それでめちゃくちゃ派手な服を着て、それを自分のアイデンティティにしてしまうというのがいちばん心地良いという結論になって。メンズ・レディースの垣根を超えて服を作っているデザイナーが好きだったのですが、デザイナー自身がゲイやクィアであることが多くて、クィアという言葉を知らずに自分のアイデンティティに自然と取り込んでいました。

なので、社会運動に参加し始めてフェミニズムやクィアフェミニズムと出会ったときに、身体の表現としてファッションを使うということが、自分の性自認と密接に関わっていたことがわかってすごく腑に落ちたんです。それでクィアフェミニズムの思想を取り入れたファッションで政治的、その集合体みたいなものが自分にとっても意味あるものだと思えて、いまの活動を始めました。

super-KIKI「不純のユートピア」ポートレート(*)
super-KIKI「家父長制の墓」Tシャツ photo: Kohey Kanno(*)

──サイボーグ・フェミニズムで知られるダナ・ハラウェイがお好きだと過去のインタビューで拝見したのですが、生まれ持ったパーツに対し、衣服も「自分の一部」として取り込んでしまうという感覚に、ハラウェイの思想が重なるように感じました。

そうですね。自分がサイボーグであるという感覚。自分のパーツや、ありのままの自分が自然であるということに納得いかない自分の複雑さや厄介さみたいなものを、プラモデルのようにファッションをパーツとして取り入れることで受け入れることができたり、自分が強化されたように感じたりしたのはすごくエンパワーされる経験でした。身体という物質が自然なものとしてあって、それが服を着ているというよりは、自然も不自然もごっちゃになっている状態が自分としては結構面白くて。服も自分の一部にしちゃえ、みたいな感じですかね。自分がある意味不自然でシステム化した存在だととらえ直すことで、自分が豊かに生きるためには社会の再構築、つまり社会運動などに積極的にコミットするしかない、という行動にもつながっていると思います。

──ご自身の作られるアイテムに“政治的衣服”という言葉を使われていますが、そこにはどんな意図がありますか?

もともと衣服には政治的な文脈があると思っているのですが、ファッションって消費されるものという感じで軽んじられがちなところもあると思うんです。でも私はそんなことないんじゃないかなと思っていて。そういったものこそ政治的に見てみると結構面白いんですよね。世の中を見る視点が少し広がるというか。

──「政治的に見る」というのは、それが社会においてどのような構造のなかにあるのかを考える、というようなことでしょうか。

まさにそういうことだと思います。自分のジェンダーはどんなものなのか、なぜこれを好きなのか、これを表現したら人からどんな反応が来るのか、といったアイデンティティに関わるところにも政治的な文脈があるなと思っていて。今回の展覧会でも、(第4章の)戦後のコーナーで、女性の社会進出が進んだときにファッション雑誌にパンツスタイルが出てきていましたが、それもやはり政治と密接に関係してスタイルが変わっていたという背景もありますよね。そう考えるとこの展示はめちゃくちゃ政治的ですね。

第3章「戦争に翻弄される人々の衣生活」より、国民服(後方の軍服は参考資料)(*)
「衣服が語る戦争」会場風景

日常に溶け込むファッションから始める対話や抵抗

──展覧会では、ファッションがいかに社会の情勢と分かちがたいかというその構造も浮かび上がっていたようにも思います。あらためて、KIKIさんがご自身の活動やファッションを通して語りたいこと、その先に見ている社会の姿があれば、教えてください。

もちろん平和な世の中であってほしいし、差別がなくなってほしいと思っているのですが、前提として、さきほども話に出たように、かっこいいもの、美しいものと、自分が発信したいメッセージを単純に結びつけるのが最善だとは思っていません。やはりプロパガンダに利用されないような方法は模索しなくてはいけない。表現者に限らず、思い描く未来のためにそれぞれ考え続け、疑いながらもやっていくということが希望なんだろうなと思います。

正直私も「こうやったら希望的な社会になる」という正解ははないと思いながらやっています。抗議やスタンディングなど直接行動の力は信じていますが、日本は自分たちで民主化したという歴史がないので、なかなかそれを多くの人が信じきれていない。だから私は、自分たちに力がある、社会を変えられる、という自信を身につけるために服を作ることを真剣にやり始めたところがあります。

みんな生活もあって健康状態も様々なので、誰もがデモや抗議活動に参加できるわけじゃない。でも日常のなかで、「基本的人権」とか「セクシズム殺す」って書いてあるTシャツやキャミソールを着て、そこから徐々に抵抗したり、人と対話して何かが変わることを実感したりすることはできるかもしれない。自分としてはそういうところに希望を持ちながら作っていますね。

super-KIKI「セクシズム殺す」パイピングキャミソール photo: Haruka Oshita(*)

それで直接的に世の中がすごく良くなったり、短期間で変わったりする希望的観測はしていません。でも、たとえばこの前の参院選のように外国人排斥の差別的な言説が公の場ですごく広まっているときに、自分はそういう言説を支持していない、差別に反対しているということを表明することで、周りの人を安心させたり、そういう人ばかりじゃないよって見せられる。地道なことですけど、そうやって変えられるものではあると思うんです。

ただ、やはり社会がどう在るのかをつねに見ながらどんな表現をすべきかを考えていかないといけないので、ひとつの方法に固執するよりも、いま何が問題なのか議論し続けながら、その時々で正解のないことにも答えは出し続ける。つまり声を上げることをやめないということが大事なのかなと思っています。


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super-KIKI(すーぱー・きき)
2011年より路上デモに参加しながら社会に対する疑問やメッセージを、ぬいぐるみでできた横断幕やネオンサイン風のプラカード、衣服などをDIYで表現する。フェミニストゲーマーのミーティングや、政治的メッセージを刷るシルクスクリーンやステンシルワークショップなども展開。自身のケアと性表現の探求からinstagramでセルフィーの投稿もする。バーンアウトの経験から、日常的にいかに無理しない形で持続的に声をあげられるかを模索し、身に付けられるアイテムを日々制作中。2024年よりECサイトでアイテムの販売を開始(https://superkikishop.com) pop up shopも不定期で開催。

後藤美波

後藤美波

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。