森園敦(長崎県美術館)
被爆80年、長崎県美術館開館20周年の節目として、「ゴヤからピカソ、そして長崎へ 芸術家が見た戦争のすがた」が、9月7日まで開催されている。スペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤの連作版画集〈戦争の惨禍〉を起点に、時代を超えて戦争の現実を見つめた芸術家たちの作品を紹介している。
被爆地・長崎にある美術館として「本展によって戦争に対する強い抵抗を示すもの」と銘打たれている本展。担当学芸員の森園敦(長崎県美術館)に、展覧会に込められた狙いや意図と、被爆地の美術館としての役割について話を聞いた。
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──今回の展覧会は、戦後80年、開館20年の節目の展覧会として行われています。はじめに、ゴヤの〈戦争の惨禍〉を起点とする本展がどのように企画されたのか教えてください。
まず被爆80年に美術館として何をすべきかを話し合うなかで、やはり長崎県美術館でしかできないことを追求すべきなのではないかと考えました。そして開館20周年ということもあるので、何か新しい突飛なことをやるよりも、これまでやってきた研究成果を土台とすべきではないかと考えていくうちに浮かび上がったのが、ゴヤの〈戦争の惨禍〉でした。
──「原爆だけでなく、それを引き起こした戦争に焦点を当てる」というテーマが掲げられています。
ウクライナやガザなどで起きている戦争や紛争、いまの世界情勢に訴求するものでなくてはならないと考えたときに、長崎原爆のことだけでなく、もっと広く戦争というものをとらえるほうが良いのではないかと考えました。それが〈戦争の惨禍〉とリンクしたんです。〈戦争の惨禍〉に描かれているのは、戦争における人間の暴力性など普遍的な人間の姿です。そこから戦争を読み解いていこうということで、〈戦争の惨禍〉からテーマを抽出して章立てをしました。
──ゴヤの〈戦争の惨禍〉は、1808年に勃発したフランスに対するスペインの独立戦争を背景とした作品ですね。スペイン軍の命でゴヤが激戦地サラゴサに滞在したことが制作の契機となっているそうですが、この作品についてあらためて解説いただけますでしょうか。
ゴヤはスペイン人ですが、フランスを好意的に見ているところがあったので、非常に複雑な立ち位置にいました。ただ、ひとつ言えるのは、フランス兵のスペイン民衆に対する残虐な場面だけではなく、逆にスペイン人がフランス兵に対して残虐なことを行っている場面も描いている。敵も味方もないということです。どちらかに加担するのではなく、まさに人間が持っている暴力性に焦点を当てているのが、この〈戦争の惨禍〉の非常に優れたところだと思います。
また、ゴヤの時代は戦争を描くときに為政者たちの英雄的な行為がクローズアップされる時代でしたが、そうではなく、ゴヤは名もなき民衆の死を赤裸々に描いている。為政者目線ではなく民衆の目線で描いている点も、〈戦争の惨禍〉の特徴です。
──ゴヤは宮廷画家も務めた人物ですが、なぜ民衆の目線を持てたのでしょうか。
そこは非常に面白いですよね。ゴヤは40代の半ばに病気で聴覚を完全に失ってしまい、そこからさらに内省的な、人間の闇の部分を描いていくようになります。そういったところも関係しているのかもしれないですね。宮廷画家でありながら民衆の目線を持っていたというのは、芸術家として非常に幅広い視野を持っていたんだろうなと思います。
──〈戦争の惨禍〉は全82点の作品が1点1点、場面の解説つきで展示されていて、絵巻や漫画のように読み進められるような構成でした。
まず〈戦争の惨禍〉をきちんと丁寧に見せる、ということをこの展覧会でやろうとしました。1点1点解説をつけるということは、これまでほかの展覧会でもあまり行われていないんです。今回は各作品のタイトルについても、日本語にする際にどのような表現が適切なのか、これまでの調査研究を踏まえ、専門家の協力を仰ぎながら考え直しました。また何点かをまとめて段がけするのではなく、企画展示室のほぼ3分の1を使って全部の絵を横1列に並べていますが、これも1点1点をしっかり見てもらいたいという我々の意思の表れです。
──目を背けたくなるような悲惨な場面も多いですが、戦場で行われていることはいまも変わらないと感じずにはいられませんでした。
本当にそうなんです。戦場でなされていることは、いまもあのままのような気もしますし、戦争になると我々が本来持っている暴力性が現れ出て、誰でも加害者にも被害者にもなり得る。やはりそういった恐ろしい部分が〈戦争の惨禍〉には描かれていると思います。
──《巨人》についてもお伺いします。内覧会では「巨人がキノコ雲のようにも見えた」とおっしゃっていました。
この作品はとても謎めいていて、昔からいろいろな解釈がなされています。私は、戦争では抗うことのできない巨大な力によって人間が翻弄されるということが起きて、この作品にはそのことが擬人化して表されているような印象を持ったんです。
“巨人”はいまもなお存在するもののような気がします。ウクライナやガザでも、抗いがたい巨大な力によって人々が翻弄されていますよね。それは人知を超えた大きな力のように思えるけれども、結局は人間が作り出している。そのような意味でも本展とマッチすると思いましたし、今回の展覧会において非常に重要なピースだととらえています。
この作品は、現在はゴヤ作であるという断定はされていません(*1)。ですが、描かれたものの内容──戦争で翻弄されている民衆を考えたときに、やはり持ってくるべきだと考えて、いろんなリスクを背負いながら借用しました。
──第3章「無垢なる犠牲、名もなき民衆の死、性暴力」では、〈原爆の図〉で知られる丸木位里・俊夫妻が長崎を描いた作品も展示されています。
丸木さんといえば広島のイメージが強いですが、長崎を描いた作品も4点あります。今回はそのうち3点を展示しています。おふたりの活動について私が重要だと思うのは、初期の〈原爆の図〉が占領下で描かれていたということです。今回の出展作は違いますが、丸木さんはほとんどの人たちが原爆の被害を知らなかった時代に作品を巡回させて、それを知らしめるきっかけになった人だと理解しています。国にも睨まれながら、そのような活動をしていた闘うイメージのある人なんですね。
1985年の《母子像 長崎の図》は、長崎県の教職員組合の依頼で制作された作品です。〈原爆の図〉シリーズは、長崎原爆資料館が所蔵する《原爆の図 第15部 ながさき》を1982年に描いて一旦終わっているのですが、その後に描かれました。この作品は長いあいだ教職員組合の建物の2階にひっそりとかけられていて、ほとんど目にされてこなかったんです。原爆の図 丸木美術館の岡村幸宣さんも知らなかったくらいです。教職員組合が建物を建て替えるのを機に美術館に寄贈されたのですが、私も初めて見たときは「こんな作品が長崎にあったのか」と、かなりびっくりしました。屏風の《原爆長崎之図》も原爆資料館ではあまり展示されることのなかった作品なので、この3点が並ぶのは非常な貴重な機会だと思います。
──今回、絵画が中心ですが、写真作品として山端庸介さん、東松照明さんの作品が紹介されています。いずれも長崎原爆をテーマにした作品ですね。
ロバート・キャパの作品をはじめ、戦争をとらえた優れた写真がありますが、今回は原爆をテーマとした写真に特化したいと考えて山端と東松だけにしました。山端は長崎原爆を最初にモチーフとした写真家だと思いますので、どうしても展示したかった。
──内覧会では、戦争を絵画で表現したゴヤとの対比を考えたともおっしゃっていました。
そうですね、絵画でとらえたゴヤと写真でとらえた山端。山端は軍部の依頼で撮っているので記録性が強いのですが、そのなかにも写真家としての性みたいなものも見えると思います。
広島で原爆投下当日の写真を撮った松重美人さんの写真は5枚が残されていますが、「あなたたちの姿を撮らせてください」と謝りながら撮っていたといいます。いっぽう山端は、非常に冷静に117枚もの写真を撮っている。そうした写真家としての山端をとらえたいという思いもあって今回展示をしました。
東松が長崎でなした仕事もとても大きなものでした。東松は1961年に初めて長崎に来て以来、被爆者や被爆遺物を継続的に撮影しました。彼は「伴走者のように」という言い方をしているのですが、被爆者に伴走するように撮っていきました。撮影にあたっては、コンセプトがきっちりとしていて、モノを撮りながらも被爆者たちの傷ついた身体を思い起こさせるような撮り方をしています。
──被爆体験者である作家の作品も展示されていますが、飛永頼節さんと明坂尚子さんの展示室は、作品の色も明るく抽象的で、ほかの展示空間とは少し異なる印象を受けました。
飛永さんの作品はとても説得力のある抽象絵画ですよね。彼が見たもの、感じたものを表すのに、ああいう世界でないといけなかったのだと思います。〈イエローレクイエム〉と言われる黄色の世界は、飛永さんが見た原爆の閃光だと思います。閃光によって石段にいた人が焼かれ、そこに黒い影が残った場面を彼は戦後に見ていて、そこに人間の存在感を感じ取った。彼が実際に閃光を浴びたときの視覚的な体感と、のちに石段に残った影を見たときの感覚がリンクして、あの黄色の世界ができたのだろうと思います。
明坂さんは2009年の東松さんの展覧会の図録にも文章を寄せて頂くなど、美術館との縁もあった作家です。美しい染織の作品ですが、そこに織り込まれた、本当にきれいなものの下にある灰色の層を感じ取ってもらえればと思っています。
──現代の作家についてもお伺いします。長崎ゆかりの作家として、森淳一さんの彫刻や平面作品と青木野枝さんの立体作品が、「記憶の継承」をテーマとした最終章で取り上げられています。
個人的な裏テーマとして、最後は彫刻で終わらせたかったんです。長崎には平和をテーマとした公共彫刻が数多くありますが、それらに対する様々な批判もあります。そういったことも踏まえたうえで、それでも戦争や原爆をテーマとした彫刻表現の可能性を追求したいと私のなかでは考えていました。
森さんは2021年に(《平和祈念像》で知られる)北村西望の修復プロジェクトに携わっておられます。北村は戦時中、軍人像をいくつも作ったが、戦後は一転して平和の像を作った。森さんはそういったところに対し批判的でありながら、北村の制作方法の独自性に関心を持って活動されています。これまでも長崎原爆を題材にした彫刻を作っていらっしゃいますが、今回の新作は人型やファットマン(長崎に落とされた原爆)などをイメージしていると聞いています。
──青木さんの新作は、壁にもたくさんの赤いガラスがかけられています。青木さんは2019年の長崎県美術館での個展で初めて赤いガラスを使ったそうですね。
去年の東京都庭園美術館の展覧会でも、現在の世界情勢に鑑みて2019年以来初めて赤いガラスを使われていたのですが、今回も使うということは初めからおっしゃっていました。壁にまでたくさんかけられているのは、私も初めはかなり驚きました。あれだけたくさんの赤いガラスを使われているというのは、やはり戦争や現在の世界情勢を意識されているからだと思います。
──今回は開館20周年を記念した展覧会でもありますが、これまでの20年間で被爆地にある美術館としてはどのような意識を持ってこられましたか。
じつは開館当初は、そこまでそういったことはあまり打ち出していませんでした。広島には広島市現代美術館がありますが、長崎は市の美術館が存在しないので、県の美術館としてもアプローチしていかなければいけないのではないかという意識は、年数を経るごとにだんだんと出てきました。
被爆70年のときに広島県立美術館と共同で展覧会を行ったのですが、その際はまだ被爆者の方でお元気な方も結構いらっしゃいました。ですが、被爆80年の現在ではそのような方々が多く亡くなられている。被爆者の方が急激に減っているのが被爆80年の年なんです。今回、最後に「記憶の継承」というテーマを持ってきたのは、70年のときより80年のときにやることの意味が大きいと思ったからです。10年前といまでまったく状況が違うというのは、長崎に住んでいて感じることですね。
──「記憶の継承」という点において、美術館としては何ができると考えていますか。
長崎には原爆資料館がありますが、我々がすべきことは美術作品を使って、美術を通して何かしらを皆さんに考えてもらう、美術作品を使って何かを提示していくということだと思います。我々も事実を追求すべきではあるけれども、そこを突き詰めてやっていくところではない。あくまでも我々は美術を扱うという点で全然役割が違う。そこが大事な部分であるということは、今回の展示の準備にあたって原爆資料館の方たちと話をしながら思いました。
──展覧会の冒頭では、「この展覧会によって戦争への抵抗を示すものとする」というような宣言もなされていました。最後に、本展が現代の観客にとってどのようなものになってほしいと考えているか聞かせてください。
〈戦争の惨禍〉は描かれてから200年が経っていますが、まったく古びていません。作品に描かれていることは未だに行われていることで、本当にすぐああいうことになり得る。実際80年前は日本もそうでしたし、いまもいつ崩れてもおかしくないというところに差し掛かっているようにも感じます。私たちのいまの生活が決して当たり前のことではないということを感じてほしいと思います。オットー・ディックスの作品でも子供の頭に銃の跡があったりしますが、まさにいまのガザやウクライナと同じですよね。同じことをずっとやり続けている。そういったことを考える契機にしてほしいです。
この展覧会はある意味で、すごくストレートなものになっていると思います。でもそれは長崎だからできることかもしれません。戦争に対する抵抗という長崎としての意思表明をきっちりとしたかった。やはり長崎にある美術館として、それをやるべきだと思ったんです。
*1──《巨人》は、2008年にプラド美術館が調査を行い、ゴヤによるものとは断定できないとの見解を発表。本作をめぐるゴヤ作品としての真贋については現在も議論が続いており、本展では「フランシスコ・デ・ゴヤに帰属」として出展されている。
*特集「戦後80年」のほかの記事はこちら(随時更新)
森園敦(もりぞの・あつし)
1973年広島県生まれ。広島大学大学院博士課程後期単位取得退学。2004年9月より現職。担当した主な展覧会に「現代スペイン・リアリズムの巨匠アントニオ・ロペス」がある。