「ゴヤからピカソ、そして長崎へ 芸術家が見た戦争のすがた」会場風景
長崎県美術館で「ゴヤからピカソ、そして長崎へ 芸術家が見た戦争のすがた」が開幕した。会期は、7月19日〜9月7日。
被爆80年、そして長崎県美術館の開館20周年という節目の年に企画された本展は、スペインの巨匠フランシスコ・デ・ゴヤの版画集〈戦争の惨禍〉を中心に、戦争を見つめた芸術家たちの作品約180点を紹介。被爆地・長崎にある美術館として、原爆だけでなく、「それを引き起こした戦争」そのものに焦点を当てる展覧会となる。担当学芸員は、同館の森園敦。
長崎県美術館では数年前から原爆をテーマとした展覧会に向けて協議を重ねており、本展の企画にあたっては、戦争が苛烈を極める現在の世界情勢に訴求するものでなくてはならないとの思いが念頭にあったという。芸術は戦争をいかに表現したのか、芸術は戦争に対し何ができるのか、といった問いを考察する本展により、戦争への強い抵抗を示すものとしている。
国内でも有数のスペイン美術のコレクションを持つ同館。森園学芸員は内覧会にて、本展の計画に際し「戦争を中心に置くこと、開館してから20年間のあいだに積み重ねてきた調査研究を土台に据えること、という2点があった。そのため収蔵作品である〈戦争の惨禍〉を土台とし、そこから派生させて展覧会を構成するというかたちをとった」と話した。展示は、〈戦争の惨禍〉の内容から抽出されたテーマに沿い、全7章で構成されている。
まずは、その〈戦争の惨禍〉全点が来場者を出迎える。本作は、1808年から1814年まで続いた対フランスのスペイン独立戦争を題材に制作されたもの。82点の連作版画は、戦争における凄まじい暴力や殺戮を描いた2〜47番、戦時下の飢餓を描いた48〜64番、戦後に復位したフェルナンド7世の政治への批判を寓意的に表した65〜82番と、大きく3つのパートに分かれる。
展示室では、3つのスペースを使い、殺戮や処刑の場面、性暴力、死体を陵辱する行為など、戦争や人間の残酷さがあらわとなった凄惨な光景が並ぶ。1点1点解説つきで横並びに展示されており、ゴヤによるタイトルとともにテキストを読みながら絵を見ていくと、絵本や漫画のページをめくるように引き込まれる。一つひとつの場面からは戦争の非人道性が浮かび上がると同時に、戦争によって引き起こされる人々の苦しみや絶望が過去のものではないことをあらためて思い起こさせられる。
ゴヤは特定の事件や人物を描くのではなく、名もなき民衆や兵士を描くことで、人間が普遍的に持つ暴力性に光を当てた。また敵味方関係なく戦争によって暴力に駆り立てられていく様も表現し、たとえば3番の作品ではスペイン人の男性が倒れ込んだフランス兵に斧を振りかざす場面が表されており、「同じことだ」というタイトルがつけられている。
あわせて本章では、ゴヤが死んだ動物の静物画によって戦争による暴力と死を表した油彩画《死した七面鳥》、さらにゴヤに帰属とされる《巨人》も展示。多様な解釈を生んできた《巨人》について森園学芸員は、「巨人が人間に対して戦争や暴力、災いを与えるものの象徴として描かれているのではないかと思った」とし、それが本展のテーマと通じることから出展を決めたと明かした。なお本作については、2008年にプラド美術館が調査を行い、ゴヤによるものとは断定できないとの見解が出され、本作をめぐるゴヤ作品としての真贋については現在も議論が続いている。
第2章「人間の暴力、そして狂気」では、戦争がいかに人間を暴力や狂気に駆り立てるのかに焦点を当て、パブロ・ピカソがスペイン内戦の時期に、怪物ミノタウロスを象徴的に描いた《静物─パレット、燭台、ミノタウロスの頭部》や、藤田嗣治の戦争画などを取り上げる。
本展では、会期中、ピカソがスペイン内戦中の無差別爆撃を題材とした《ゲルニカ》の原寸大複製陶板を美術館エントランスロビーで特別展示しており、ゴヤと長崎をつなぐものとして、ピカソの戦争へのまなざしに注目していることも特徴のひとつだ。
第3章は戦場で起こる名もなき人々の悲惨な死、性暴力、そして不条理に焦点を当てる。
ここでは、〈原爆の図〉で知られる丸木位里・俊による長崎を題材とした作品が紹介されている。丸木夫妻が初めて長崎を訪れたのは1953年のことで、現在までに確認されている長崎を描いた4点のうち3点を本展で見ることができる。
屏風作品《原爆長崎之図》は、爆心地から1km程の場所に位置した三菱兵器工場と、浦上天主堂を描いたもの。いずれも暗い画面のなかに、苦しむ女性や子供の姿が浮かび上がり、その悲痛さが迫るように伝わってくる。《母子像 長崎の図》(1985)は瀕死の幼子を抱く母親を中心に、燃え盛る炎を前に横たわる人々が描かれている。
戦争は多くの人々の心と身体に消えない傷を残す。第4章では、戦争により人々が身体に負った傷跡、そして終わることない被害者の苦しみを表した作品などを展示。東松照明は、1961年に初めて長崎を訪れ、終戦から16年経ってもなお苦しみ続ける被爆者の人々を目の当たりにし、以降、約半世紀にわたって被爆者や被爆遺物の撮影を行った。
本展では、原爆が炸裂した時刻の11時2分で止まった腕時計をとらえた代表作をはじめ、爆撃を受けた遺物やケロイドの残る被爆者の姿など、長崎シリーズの作品が壁一面に並ぶ。
またナチスによって拷問を受け、虐殺された人々の頭部を描いたジャン・フォートリエの〈人質〉シリーズや、スペインを代表するアンフォルメルの作家アントニ・タピエスなど、激しい抽象絵画による人体の表現にも光を当てる。
続く第5章は、〈戦争の惨禍〉第2部のテーマでもあった、戦争による「飢えと困窮」を描いた作品を紹介。アジア・太平洋戦争で命を落としたとされる230万人にのぼる日本の軍人・軍属のうち、約6割が広い意味での餓死だったとの説もあるという。
絶望し顔を覆う母親と、大根を手に母の服を掴む子供の姿を描いた北川民次の《焼跡》(1945)、戦後のシベリア抑留を経験した香月泰男が「飢え」をテーマに描いた作品などが並ぶ。
〈戦争の惨禍〉には「私は見た」と題された作品がある。6章では、長崎原爆の目撃者の視点を紹介する。
写真家の山端庸介は西部軍の命で長崎に入り、原爆投下翌日の8月10日の長崎市内を撮影した。その写真は被爆直後の街をとらえた貴重な記録だ。おにぎりを手にこちらをまっすぐに見つめる少年、幼子を抱えて治療の順番を待つ母親の姿など、山端は目の前の凄惨な状況を冷静に切り取った。
このとき山端は、画家の山田栄二、詩人の東潤らとともに長崎を訪れており、ここでは山田のスケッチもあわせて展示。山田の絵と山端の写真は、ほとんど同じ構図のものもあり、ふたりが同じ場所で同じ状況を見つめていたことがわかる。さらに飛永頼節や明坂尚子といった、被爆を経験したアーティストによる作品も展示されている。
本展は最後に現代の作家の展示を通して幕を閉じる。第7章は、被爆体験や戦争体験の記憶の継承をテーマに据え、森淳一、青木野枝の作品を展示している。
長崎出身の森は、これまでも原爆や長崎をテーマとした作品を手がけてきた。本展では、長崎の山々を黒い大理石で象った彫刻《山影》などの過去作に加え、本展のために制作された《星翳》といった新作を発表。森が長崎の地でまとまった作品を展示するのは、今回が初めてだという。
青木も本展のために新作《原形質/長崎》を制作。原爆で亡くなったいとこを持つという青木は2019年に長崎県美術館で個展「青木野枝 ふりそそぐものたち」を行った際、初めて作品に赤いガラスを使用した。以降、赤いガラスの作品は制作していなかったが、ウクライナやガザなどの状況を背景に、2024年の東京庭園美術館での展覧会でふたたび赤いガラスを使って制作。今回の展示では、壁にもたくさんの赤いガラスが並んでいるが、それは現代の私たちに対する警鐘のようでも、戦争で命を落とした人々への鎮魂のようでもある。
本展では、ゴヤから現代まで、異なる時代の芸術家たちが見つめた戦争の姿がひとつの空間に集まることで、あらためて戦争の不条理や悲惨さが浮かび上がる。戦後80年という節目のいま、多様な表現を通して戦争というテーマに向き合う機会として、足を運んでみてはいかがだろうか。
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